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光冨郁埜詩編 

夜の子


はじめに くらやみがあって
(ここまでくるのにながい夜をくぐってきた
一枚いちまい重ねられていく
生まれるまえは
まったくの やみだったと
うすぼんやりとした 
陽だまりの まえにすわって
鍵盤を たたいている
ちいさな 私を 私はみた 

とざされた 窓を
やっとの 思いで あけても
そこにはまた とじた窓があり
その窓をあけても そのむこうに
窓が いくつもつらなっている

たゆたう くぐもった水に うかぶ 子
なにもかも 信じられずに
目を とじたまま
身を ちぢめていた

求めてみても みちたりることはなく
それでも 求めることをやめられないのは
この地に 私の 居場所がないから と

いつのころか うすやみが あって
私のなかの まったくのくらやみが
光る海の 底になって
やみが あおく 輝きを はなち
子 が ただよっている

うすやみにも
まったくの くらやみにも
とうめいな 光が さすことを
ひとたちは 黙せずには いられない

わすれさられてしまった ひとにも
陽の光は ふりつもるのだから
私は ついていくことにした

(そのひとは ひとの 祈り だった

陽の 光を みあげる
祈りは しずかに みちていく
そのひととの あいだに 生まれる
しずまりが
目と口を とじた子 となって
背をまるめ 手足をちぢめて
私のまえに 浮かんでいた

その子が くらがりにきえたあと
私は その祈りのひとを
ひっそりと 抱きしめていた
重ねられていくのは
私が生きてきた みちすじ

私の 傷あとと その祈り
そのひとの よこ顔を 私はみつづける

(そのひとは ひとの 祈り だった


ざくろ


呼ぶことのない 
部屋のテーブルには
ざくろの 割れた実が ひとつ
むくれている ざくろには
いくつものやみがあって
そのうつろに 
赤黒い眼がおさまっている
ざくろの実に
穿かれた口があって
染まった歯と唇のまから
こけむす ざらつく舌が うごめいている
ざくろは 皮を 肉のほうから脱ぎ
むくりと ひとの顔となる

歎ずる身体のあちらこちらに
隠し切れない 
乾くことのない傷痕が ひかりを求めている
ざわつく 赤黒い 胸騒ぎをひめながら
ひっそりと
ひとは 朱に染まった服を まとっている

その服の裾から覗く 傷もあれば
下着に隠れる 痕もあって
むせぶほどの温もりがあって
水道水をながしつづけ 
洗われる傷痕を かかえて 
ひとは そこに 立ち尽くしている
しだいに服が 紫に 染まっていく

ときには 手を振って
ひとを はらおうと
歪めながらも 赤茶けた 言葉を発しても
傷つけてしまうのは
叩かれるために 生まれた 子だからか
手を伸ばして 触れることのできる
その傷痕が またひとつ
痛みを ともなって 生まれてくる
こころをつつみかくして
ぶきように微笑んでみても
紫にむくれた 痛みに 耐え切れずに
声を発してみても
とどかずに だれもいないほうをみる

ほんとうは
その先の 言葉も言えずに 
またひとを 叩いている
自分の胸に ひっかき傷をつけている
自分の手首を 焼いている

ざくろの実の代わりに
落とされた
手首が テーブルに置かれる
くもった音がひとつしたきり

閉じていた目が 夜 ひらく

バード


 一人でいることに、何年も飽きなかった。シートの、海に伝わる神話を読みながら、永く暇をつぶしていた。精霊の女、の横顔の表紙。空腹の中、海に向かう道、カセットで、オペラを聴きながら、わたしは車を走らせた。食事をとる場所を探す。風が、目に当たる。細める/道の脇/女の顔が転がる。ブレーキを踏む/ハンドルを横に切る。
 女の顔は白い。軋むかのような声で、鳴いている。翼を抱えて、鳥の体の女はわたしの目を見て、鳴く。光る目が、心に残る。ドアを開け/風が流れ込み/鳴く。それに近寄る。歯が白いが、鋭く、わたしのほうに転がる。わたしは屈み、抱きかかえる。
 シートで、女の顔を押さえる。鳥の体は羽毛が柔らかい。片方の翼を痛め曲げている。
「ハーピーか」と、わたしの声に女は鳴く。
 それは、ひとの食事を邪魔するだけの存在だが、わたしは後ろのシートから、乾いたパンを出し、カップの牛乳に浸し、与える。女は笑うような目で、わたしを見上げる。わたしの股の上で、喉を動かす。次第に、激しく、水分をふくんだパンを、くらう。髪は赤茶で、ウェーブがかかる、その線にわたしは触れる。女の体は重い。

 わたしは、女と車を走らせる。風が、女を喜ばせる。笑い声がする。ただ走っているだけなのに、うれしいらしい。海が眼下に広がる。崖/ブレーキ踏む。ハンドルを静かに回す。鍵のアクセサリーの翼を、女は唇でつつく。わたしを見ては、何か言いたげに、ねえねえ、と目で話す。
 どうすれば、この時間を延ばせるか、わたしは、女の頬に指をあて、撫で続ける。
 雨でも降るのか、窓からの風は湿り、辺りは薄暗い。無言の時間が過ぎる。サーチライトをつける。舗装された道が続く。何年かぶりに女と話したくなる、が言葉はない。車内の沈黙に、ラジオをつける。
 DJの声はなく、歌声がある。
 ラジオに、女は聴き入る。女の横顔は、本の表紙の精霊に似ている。首を伸ばし、翼を拡げる。目が青く、海を思わせる。その深み、に触れたくなる。
 女は歌う。白い喉が震えている。その声は、わたしを眠りに誘う。ひとに死をもたらす、セイレーン、であるかもしれない。
 向こうから、ひとをおそう、女の仲間が来る、前に、わたしは、ラジオのボリュームを上げる。アクセルを踏む。女を窓から放り捨てるべきか迷う。片手で女の口をふさぐ。女が指にかみつく前に、わたしの体は眠りに傾く。

(死ぬな、これは)
 ハンドルを切り損ね/道の脇/落下する。

 女はそこにいた。シートに、挟まれ身動きできない、わたしの胸の上でうずくまり、頭をこすりつける。頬と頬がすれあう。女は鳴いた。わたしは夜の曇った空に、女の仲間が来ていないことを知り、はぐれた者同士、そのままの姿勢で、朝まで眠ることにした。携帯電話、を持たないわたしは、誰にも連絡をとれない。遠く、で波の音だけがする。キーを回す、がエンジンは動かない。キーの、折れ曲がった銀の翼が揺れる。本を台にして、コップに水を注ぐ、暗がりの中で。二人だけの沈黙に、女はむせぶ。

 女の目は濡れている。その縁を指で、たどり、こもるような声をかける。寒い暗がりの中で、わたしと女は互いの体温だけを頼る。片方の翼を、わたしは撫で続ける。
 女は笑うように、目をつむる。


ブルースカイ


 冬になり、女の顔をしたバードは飛び去った。わたしは、あの時の車をスクラップにして、海の見渡せる丘に部屋を借りた。情報誌でバイト先を見つけた。倉庫の仕事に就く。朝七時半、精神安定剤を飲んでから、家を出る。伝票に従い、棚にパソコンの部品を入庫する。夜八時半、家に帰り着く。休みの日は浜辺に出て、流木を拾う。

 わたしは日曜日、干してある緑の作業着をよけて、ベランダから海を眺めていた。
(今日も流木を拾いに行こう)
 わたしは部屋の鍵を閉める。洗いざらしのスニーカーをはいて、外に出る。今日は、空が低い。乾いた舗装道路を渡り、砂地の枯れ草の上を歩く。休みの日は午前十一時から外に出る。西日になる前に、部屋に戻る。それまでに流木を拾って、昼食をとる。

 遠く水平線に白い波が光っている。潮の香りがする。吹く風に、紺のダウンジャケット、ジッパーを胸元まで上げる。波打ち際を歩く。白い枯れ木を一つ見つけて、拾う。枝に小さな海草がついている。枯れ木を持って、また歩く。スニーカーの中に砂が入る。丘の上、スクールバスを改造したカフェに向かう。タイヤを車止めで固定した、黄色い車体。銀のプレートの看板。
 バス裏手の空き地、枯れ木の枝を置く。空白を埋めるため、わたしが置いた流木がいくつか傾いている。
 バスの階段を上がり、中に入る。腕時計を見ると、十二時半。カフェで、サンドイッチとホットコーヒーを注文する。わたしは本棚から、読む雑誌を探す。手に取り読む。活字に疲れると、窓の向こう、バードが飛んでいた空を見る。青い空に、翼が羽ばたく姿を思い出す。集めた枯れ木や流木に、風が砂を吹きつける。
(空の青さを取り戻すために)
 砂に生える枯れ木。その上に広がっている、窓越しの遥かな空。風が吹く。わたしが枝に付けた、バードの羽根が揺らめいている。その女の顔を思い出す。

 わたしは振り返る。ドアのガラスに、切り取られた冬の、薄い空の形。


落ちた後


 地に伏していた。身体の自由が効かない。目を開けると、そばに灰色の蛾の死骸が見えた。風でうすい翅がゆらめいている。翅の鱗粉がかすかに光る。蛾の数本の細い脚が、宙をつかみ損ねていた。顔をずらし視線を先に置くと、草がまばらに生える茶色の地に取り残されているのがわかる。手で乾いた土をかいてみる。指先の砂と土。

 日が暮れはじめ、濃さをます闇に蛾が見えなくなる。自分の放りだされた腕、手、指も見えなくなる。暗がりのなかでわたしは呼吸をしている。石が当たるので、身体を反らす。風が周囲で、湿った音を立てている。枯れ草が互いに触れ合い、傷をつくる。胸が痛い。眼鏡のレンズを通して、暗い空を見つめる。

 息をする。まだ生きているらしい。ジャケットのポケットに両手を突っ込み、真上の闇を見続ける。あの闇の厚みはいったいどれくらいあるのだろう。次第に闇は深さをましていく。
 風が額をなでる。ほとんど何も見えない。
 落下してくる。まばらな雨が降り出した。顔や地面に当たる。指先にも。眼鏡のレンズにも雨粒が落ちる。周囲に音が次々とあがる。
 雨の激しさが加速する。体中にあたる水滴が痛い。耳元で破裂する。わたしは強く目を閉じる。閉じたまぶたから水がしみこむ。永く続くかのように、降りそそぐ水の玉。つかのま身体は熱く、そして次第に寒くなっていく。もう空腹感はない。麻痺したのだろう。濡れた体の重さ。地に埋もれる。わたしの重さで、地平がゆっくりと傾いていく。あの蛾も、きっと流されてしまったのだろう。
(わたしも、このまま雨に流されてしまってもいい)

 雨音が聞こえなくなった。目を開けると、眼鏡のレンズに雨が当たっている。けれども、自分の呼吸の音しか聞こえない。眼鏡のレンズは水に覆われている。耳元に流れる雨水。

 わたしはまた目を閉じる。ふたたび熱い。自分の体が熱をおびている。
(このまま燃えてしまうか)
 闇が自分を中心に渦をまく、そのくらみのなか、だれかが、わたしのジャケットをひっぱっている。が、動きがとれない。その闇には、光の帯がゆらめく。閉じた目を開き、首をわずかに曲げる。
 見ると、一頭の狼がわたしのコートの肩の部分をくわえている。食らう気はないのか、狼の目が、わたしに起きるようにうながしている。この狼は、月の目をしている。
 手を、伸ばす。濡れた狼の頬に触れる。柔らかな毛から水がわたしの指へと伝わり、しずくとなって落ちていく。一瞬、狼の目が光る。狼は鼻をわたしの首筋におしつけ、匂いをかいでいる。手の感触で、狼が痩せているのがわかる。地に手をつくが、起きあがれない。手を伸ばすと、狼が自らの頭で下から支えた。

 稲光がして、地上にもたれるわたしと狼を照らした。流水で枯れ枝が流されていく。雨のなか、ふたり息をしている。地から仰ぐ、その雷光が、雷鳴とともに、わたしたちに向けて墜ちた。突き刺す槍に弾かれ、音もなく発火した。

 地上には、わたしたちの姿が見える。ひとりの人間と、いっとうの狼と、そしてあたりを包む暗がりと。ふたつの身体から炎だけが、闇のなかに舞う蛾のようにゆらめいている。




 雷光の闇にくらみを覚えながらも、雨のなかに立ち、かすむ地平を、よりそう狼と見据えていた。ぼやけた視界だが、斜めになる地上に、草の影がまばらにしおれているのがわかる。雷で地に発火した炎は雨水で消えていた。眼鏡のレンズに大きな雨滴がたまっては落ちていく。
 行こう、わたしは狼にしずかに告げる。ふらつきながら、狼を見る。狼もわたしの目を見る。わたしたちは雨に打たれながら、互いにもたれあいながら歩む。どこまで行けば、雨をしのげられる場に行き着くだろうか、あるのは草と岩や石と、それからだれかが捨てた空のペットボトルだった。わたしはそのペットボトルを水筒代わりに拾う。

 白いもやの地に朽ちた木が一本あった。ねじれた枝には葉はなく、幹は裂け目が走っている。その木のしたで、わたしと狼は体を休めた。雨よけにもならない。キャップをはずし、ペットボトルを置いて、雨水が自然と中に入るのを待つ。狼の灰色の毛から雨水が流れ落ちている。わたしは狼の背にそっと手を置く。やせている、感触でもそれがわかる。狼は雨でかすんだ彼方を見ている。賢そうな目で。口元はひきしまっている。わたしと狼は同じ地平を見つづける。

 灰色の毛皮のところどころに褐色の部分がある。鼻から額にかけては黒っぽい色をしている。わたしに牙をむくことはないが、ときおり覗かせる歯は鋭い。わたしは膝を折って、木の根本に座り、狼の背に体をよせた。狼はわたしの匂いをかぎ、口元をなめる。互いの体温だけを頼りにした。 
 眼鏡のフレームをあげ、ジッポのライターの火をつける。狼の目は水で濡れている。火もとが熱くなり、ライターを閉じた。紺色の空気にまた包まれる。

 眠った。足下を流れる雨水の流れは、手の届かない空の雲から落ち、木やわたしたちの体をつたい、そして地表にたまる。雨水はいくらかは地下にもぐり、多くは低いほうへと流れる。ペットボトルを倒してしまったらしい。キャップを閉めていなかったかもしれない。そのままわたしたちは眠っていった。
 狼はわたしの首筋に顔を押しつけ、寝息を立てている。眠りながら、女の背。それもすぐに眠りの中で、流れていった。

 咳をして目が覚めた。雨は止んでいたが、寒い。暗がりのなかで、ジーンズのポケットのライターを取り出し、火をつける。女からの。いなくなってから、タバコはやめていた。味がしなくなってしまったから。銀色のライターに描かれた、片方だけの閉じたまぶたと長い睫毛。

 狼がわたしの顔を仰いでいた。何を考えているの、とでも問いたい目で。狼の首をなでる。灰色の毛に指先をいれる。もう片方の手でライターの火をかざす。暗やみに、ゆらめく。狼の目が濡れている。ライターのふたを閉じた。やみをわたしたちは見続けた。狼はわたしの膝に顔をのせた。

 それから、白い朝がくるまで、木のしたでふたりもたれる。目を閉じると、どこまでも続く地平の彼方に、海がきらめいているさまが見えた。あそこまで行ければ、助かるかもしれないと。そう思い、目を開けると、そこは果てのない大地。点々とした石、足下の水がすこしある倒れたペットボトル。折れた枯草が風に吹かれて、ちぎれて空に舞う。遠くで鳥が叫び声をあげた。その声が火となって、乾きはじめた地の草を燃やしていく。


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